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2025年10月24日
センパイ
藤正 纪洋(フジマサ ノリヒロ)氏
1989年 経済学部卒業
元日本生命常务执行役员首都圏営业本部长
(现ニッセイ商事株式会社 代表取缔役社长)
-1989年に日本生命に入社して、2022年に常务执行役员に就任。2024年3月に退任して现在は関连会社の代表取缔役社长を务めています。2021年东京オリンピックの圣火リレーでは会社代表として走られていますね。
藤正:スポンサー公司として、また役员の立场で日本生命の颜として、近畿営业本部长の时に万博记念公园を走りました。また、首都圏本部长の时には、日本生命野球部が3年ぶりに都市対抗野球大会に出场し、东京ドームで始球式を担当しました。
自分でも野球をやっていましたし、野球ファン(无类のカープファン(笑))ですので一番楽しかったです。始球式で东京ドームのマウンドに上がれた时には、「もうやり残したことはない」と思いました(笑)。インハイストレートにびしっと决まったんですよ。本当に役得ですが。
-ところでご出身はどちらですか。
藤正:広岛市安佐南区出身で、大町小学校、安佐中学校、安古市高校を卒业しました。日生で役员になるとは思ってもいませんでしたから、现在も住民票は広岛においていて、20年间単身赴任です(笑)。
大学では経済学部、财政政策が専门の菅寿一先生のゼミに所属していました。とても野球が好きな先生で、ゼミ対抗ソフトボール大会ではいつも优胜しなきゃいけないという、楽しく人気のゼミで、同期には甲子园経験者もいました。
-就职では、最初から保険业界を目指したのでしょうか。
藤正:卒业した1989年はバブルの最盛期で、超売り手市场でした。物を作ったり建てたり、世の中に物を残すことができる仕事がいいのではと考えて、ゼネコンや不动产业界を検讨していました。そのうち、生命保険会社も不动产事业を行っていることが分かり、业务の幅広さに魅力を感じて志望しました。
-どんなお仕事をされましたか。
藤正:バブル期で、総合职の同期が300人もいるような时代でした。最初は地元の広岛支社に配属され、その后1990年6月、当时の日比谷シャンテにあった东京本社に転勤になりました。法人职域部で公司保険や职域営业のサポート、営业管理、贩促などを担当していました。
その后再度広岛に戻り、拠点管理职として8年、宇品、観音、十日市、光町で経験しました。その后は本部や支社长职、地域営业本部含めて一贯して営业?贩売领域の仕事でした。结果として希望した不动产领域の配属は全くありませんでしたね(笑)。
各拠点には保険の贩売员が2?30人から、多いところでは70人程度所属していました。この人たちを取りまとめる仕事です。
-生保の営业といえば、女性が多かったですね。业绩をあげるために、どのようなことをされましたか。
藤正:拠点管理职に出る直前当时は、外资系の保険会社を中心に、男性のファイナンシャル?プランナー(贵笔)が増えてきた时期でした。
バブル採用の时期、1989年~1991年で総合职が约1,000人採用されています。その层の职务开発をするため、男性の贵笔支援部队をつくるプロジェクトを担当しました。そういう资格制度の组み立てなどを経験し、営业部长として必要な贵笔知识を少し蓄えた上で営业に出ましたので、职员とのコミュニケーションを取る武器は持っていました。
コミュニケーション力については、上司や先辈から「藤正さんは亲に感谢した方がいいよ」とよく言われました。特段意识はしていなかったのですが、私が长男の初孙で亲戚や近所のおばさまたちから可爱がられていた生い立ちや、性格が向いていたのかもしれません。
-人间臭い心配りができるかどうかが重要だと闻きます。
藤正:常に社员に関心を持つことを大事にしていました。仓敷や大阪でも支社长も経験していますが、担当した最高齢の営业の方は94歳で、勤続还暦のお祝いをしたこともありました。
朝の「おはよう」や终业时の「ごくろうさまでした」の挨拶は、平等に声掛けすることを心がけていました。人の名前を覚えるのは得意だったので、営业部长や支社长、本部长になっても、名前で呼びかけて会话することも意识していました。
昔は给与明细を纸で手渡していたのですが、広岛での営业の最前线にいた8年间の12ヶ月、计96回、毎月、一人一人に手纸を添えました。「给与明细は営业职员の1か月の成果なので、ちゃんと面と向かってお渡しするものだ」とは教えられましたが、手纸は谁に言われるでもなく始めたことでした。最后の営业部长の时には営业职员が60人いましたので、60人分のラブレターですね(笑)。
「営业部长は手纸をつけてくれる」という口コミが広がって、やめるタイミングがなかった、ということもあるのですが(笑)。
手纸を书くということを通して「この职员とは今月あまり会话がなかったな」など、その职员とのかかわりを振り返るいいきっかけになりました。「あとこれぐらいがんばったら、これぐらい给料があがるよ」とか「これぐらいの成绩を目指せば、これぐらいの给料になるよ」などと、全员分の数値目标を手计算して添えていましたので、结构大変でした。丸一日はかかりますので、给料日の前の週の土日がつぶれてしまったものです。
-それは伝説になる取り组みですね。
藤正:多くの职员は事业所得者で、お给料がインセンティブになるので、コミュニケーションをとりつつ、その士気を上げるのが営业部长のミッションだという気持ちを、常に持つように意识していました。
支社长になると、さすがに部下は1,000人规模になり、全员に手纸を书くことはできませんでしたが、リーダークラスの诞生日には、お花やハンカチ、ケーキなどを添えて手纸を渡していました。
-苦労した思い出はありますか。
藤正:生命保険は形のないものなので、何のために売るのか、何のためにお勧めするのかがはっきりしてないと、押し売りになりかねません。ですから常々、仕事をする意味合いを后辈たちに伝えてきました。
営业部长の顷、当时の支社长が、社歌の3番にある「奉仕の心 一筋に 照る日のごとく 圣业を」の意味を教えてくれました。
生命保険は、お客様のライフワークに照らし合わせ、何かあった时にお役立ていただくもので、日本生命は创业以来、常にお客様本位で、常に奉仕の心を持ってお客様に寄り添い続け発展しており、我々の仕事はまさに圣业だ、ということです。そのことを、自分が教育する立场に立った时あらためて思い出して、全国の社员研修の场などで説いていました。
保険の仕事の本质をきちんと理解できていると、コンプライアンス事案は起こりません。役员勉强会で、社外の弁护士の方の讲义で「エモーショナル?コンプライアンス」を教えていただきましたが、「ダメ、ダメ、ダメ」だけではコンプラ体质は改善されません。仕事の意味合いや使命感が分かって自分事化できれば、コンプラ事案は起きないのだと学びました。
その时に、自分自身がいつも「なんのために」を后辈たちに言い続けてきたことは、间违いではなかったと感じました。
-同期の间で竞争心みたいなものはありましたか。
藤正:地位とか竞争とかは全然考えていませんでしたので、役员に指名された时にはびっくりしました。自分を评価してくれた会社にはとても感谢していますし、戦わせてくれる会社だと思いました。
-仕事はどう変わりましたか。
藤正:「役员だから」と构えていると自分らしくなくなるので、构えないようにしました。社长には「僕でいいんですか」と言ったら「やめとこうか」って(笑)。现在経団连会长の筒井义信さんがそのときの社长でしたが、本当に素晴らしい、心のある方です。
-日本生命は関西の会社だから、ノリツッコミがわからない人は苦労する、と闻いたことがあります。
藤正:僕なんか、逆にそれでしか入ってないような気がします(笑)。
褒められたことではないのですが、学生时代はほとんど勉强もせず、バイトや野球ばかりしていました。入社したところ优秀なやつばかりで、「ついていけないぞ、これはえらいところに入ってしまった。」と、何度も辞めようと思いました。
みんな事务処理能力、构想力、吸収力が高いんです。大学时代もうちょっと勉强した方が良かったと思いましたね。
-入社してから勉强し直されたのでしょうか。
藤正:たいして勉强もできず反省していますが(笑)、仕事は一生悬命やりました。また、上司にも恵まれました。
人のご縁と运が実力以上のものがあったと感じていますし、尊敬する上司がたくさんいましたので、その受け売りも取り入れながら、僕なりにアレンジさせていただいたことも良かったと思います。
一期一会、人との出会いを终わらさないことも意识しています。
ご縁がある経営者なども、出会いを大切にしたり、縁を纺がれている方が多いと感じます。大阪や広岛の顷から20年から30年近く亲しくしていただいている方が、僕が役员になったことを喜んでくれたり、またそこからビジネスが広がることがあります。后辈たちにも、「ここ」というお客さんは、个人としてお付き合いしていると、ご縁が回ってくることがあると话しています。
また私の座右の铭は「昨日を超える」「叁方よし」「不易流行」の叁つで、この言叶が表す意味も常に意识して过ごしています。
-広岛大学の学生は、周りに比较する相手がいないので自己评価が低くなりがちな印象がありますが、どうしたらいいと思いますか。
藤正:たくさんの人との出会いを、无駄に思わずに作っていくことではないでしょうか。部活やアルバイトなどなんでもいいと思いますが、いろんな人と出会う机会をたくさん作ることが、懐や人间の幅を広げることにつながると思います。一方で人の良さ、首都圏の学生とは违う地方の大学の良さ、朴訥さまじめさは强みになると思います。
保険业界には、人のために役に立つことが好きで、人と接することを苦に思わない学生、そういう训练をしている学生にきてほしいですね。

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