
第23回 「5円の価値」 (2011/03/30)
亀田 成司
Q. 5円の価値は不変なものだと思いますか?
ちなみに?相场で时々刻々変动します?という话では无いです。现在では5円で买えるものは殆どありませんが、明治时代ならば现在の数万円に相当する货币価値があったと言われています。でも、ここでは、我々の感覚的な尺度としての现在の5円の価値を想像してみて下さい。変わりますか?
A. 感覚的には不変ではありません。
相場の変動がなくとも、5円の価値は状況によって変わります。例えば、100円の菓子を購入するときに5円の値引きがあると嬉しいと感じる人は半数程度いるかもしれません。一方、100万円の車を購入するときに?5円サービスします?と言われたところで、?ふざけるな?と感じる人はいても、菓子での値引き程に嬉しいと感じる人はまずいません。私の感覚的には菓子の値引き同様に嬉しくなるためには5万円の値引きが必要です。すなわち100円における5円と100万円における5万円、それぞれに対する感覚は一致します。つまり、人は絶対的な金銭感覚ではなく、相対的な金銭感覚を持っていると言えます。この傾向はウェーバーの法則として知られています。そして、この法則から感覚の大きさが刺激強度の対数に比例することが導けます(フェヒナーの法則)。すなわち、ヒトは幅広い刺激を対数に圧縮して知覚していると言えます(図1)。主観的な要素がある金銭感覚を解析することは難しいですが、ヒトの様々な感覚系(視覚、聴覚、体知覚など) において、これらの法則が定量的な実験により確認されています。

図1:ウェーバー&フェヒナーの法则
&苍产蝉辫;実际に、我々の视覚は10-3濒虫(星空)から105濒虫(日中)まで9桁程度も変化する视覚环境に対応することができます。聴覚には12桁程度の动作域があるようです。ところが、网膜で光を受容する细胞(桿体视细胞、锥体视细胞)の动作域は生理学的な実験から精々2桁程度であることが分っています。视覚系に限らず他の感覚系の受容器细胞も同様です。そこで存在するのが?顺応机构?です。例えば、急に暗い部屋に入ると、その瞬间は何も见えませんが、しばらくすると见えるようになります。これが视覚系における暗顺応と呼ばれる机构です。感覚系では顺応机构により刺激の水準に応じて受容器细胞の动作域を动かすことで非常に広范囲な刺激に対応しています。数亿円を动かす相场师が破产して普通の生活に戻れないという话も顺応机构の影响かもしれません。私も大学の会议に出て、研究プロジェクトの予算総额が数亿円、研究装置が数千万円という话を闻いていると、数十万円のパソコンなんてたいした金额ではないんだと错覚してしまいます(駄目です)。すなわち、ヒトは生物学的観点から?対数圧缩?と?顺応机构?で変化に富んだ环境の刺激に対応していると言えます。
皆さんも日顷の生活で?対数圧缩?と?顺応机构?の影响を受けた経験はありませんか?学生の皆さんの金銭感覚が顺応(崩壊)することは殆ど无いと思いますが、勉强や运动において影响が现れていると私は考えています。例えば、始めは楽しかったけど続けるうちに段々苦しくなったという経験はありませんか?暗记科目の勉强を例に、図1のグラフにおいて横轴を暗记量、縦轴を达成感とします。勉强を始めた顷は知らないことを知る楽しさに少しの暗记量でも达成感を感じますが、勉强を続けるほどに达成感が钝くなってきます。达成感を维持するには指数関数的に暗记量を増やす必要がありますが、そんな上手い手段はありません。结局のところ地道にコツコツ积み上げるしかありません。达成感が低いとやる気が下がるでしょうから、続けるほどに苦しくなる訳です。また、暗记科目に関して言えば暗记量と能力の高さは一致します。できる人と比べると、感覚的には能力差が无いように感じても、実际には明确に差が付いています。この倾向は暗记量が増えるほど顕着に现れますので、?自分はやればできる子?と根拠の无い自信により勉强をさぼると取り返しが付かない场合も多々あります。一方、周りが顽张っていると自分も自然に顽张れてしまうこともありませんか?これは周囲への顺応机构の影响だと言えそうです。逆もまた然りですが。
私は研究室での研究についても同様だと考えています。まず、研究室という新たな环境に身を置き、自分にとって新しい研究领域に触れる楽しさがあります。一方、研究を始めるには先人の研究を知る必要があり、知れば知るほどに研究背景の奥深さを感じ、それだけで苦しみを感じることもあります。上手くスタート位置に辿り着けたとしても、上手くいくとは限りません。寧ろ失败が多いのが研究です。やれどもやれども思い通りにならない日々が続きます。そもそも思い通りという明确なイメージがあれば良い方です。雾の中を歩くような気分もよくある话です。しかし、やる気を无くして歩みを止めてしまうと终了です。新しい発见はその先にあります。これが勉强との大きな违いです。新しい発见の喜びは、既存の研究を知る楽しさとは比べようもなく、対数圧缩による行き詰まり感をあっさり壊してくれます。さらに、それを他者に认めてもらったときの喜びは言叶に表しようがありません。今までの苦労が全て吹き飞びます。不幸にも新しい発见に繋がらない场合でも、自分の道を信じる信念と歩みを止めない覚悟は决して无駄ではなく、必ず次の道へと繋がります。また、研究をより良く进めるには研究室に顺応することが近道です。研究室での研究は勉强と违って基本的に一人ではできません。一人で悩んでも良いことは何も无いです。指导教官あるいは研究室もしくは研究そのものは高価な楽器みたいなものだと私は考えています。癖が强いので注意は必要ですが、上手く扱えば非常に良い音色を奏でます。少なくとも、びびって触らなければ音は出ません。(教官の立场的には魅力ある楽器であり続ける必要がありますが)。上手く顺応できれば、雾の中を闇云に歩くことも无いはずです。是非、研究に触れる楽しさ、研究を続ける苦しみ、新しい研究を発见する喜びを、研究室の仲间と分かち合って下さい。
私は3/31で広岛大学を离れます。新天地には新たな研究プロジェクトが待っています。环境が変わるという意味では、新しく研究室に配属される学生の皆さんと大きな违いはありません。どうか、自分を取り巻く环境が変わることを恐れないで下さい。进化の过程においてヒトは环境に顺応できるようになっています。自分の顺応力を信じてあげて下さい。现在、この半导体集积科学専攻では学生の皆さんのために新たな枠组みの构筑が进められています。皆さんを取り巻く环境は更に良くなるはずです。この过渡期に本専攻にいないことが非常に残念ですが、新天地から本専攻の更なる発展と学生の皆さんの充実した研究生活を祈っています。
5円の积み重ねを大切に。また広岛に御縁がありますように。
(3月31日広島大学退職、4月1日より大阪大学 臨床医工学融合研究教育センター 特任准教授)
(2011/03/30)

図2:送别会にて(2011.3.9)