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法科大学院长からのご挨拶

平和を希求する精神、豊かな人间性を培う教育の実现

 现在の东千田キャンパスは、1945年8月6日、旧広岛文理科大学の校地として原子爆弾による壊灭的な被害を受け、多くの学生?教职员が犠牲となりました(旧理学部が被爆建物として残っています)。

 戦后间もない広岛は、「75年间は草木も生えない」とまで言われました。しかし、焼け焦げた地に再び芽吹いた木々は、人々に復兴への希望を与えました。広岛大学初代学长?森戸辰男は、広岛の再建にあたり、世界各国の大学へ向けて、「平和の色、希望の色である緑で大学を満たしたい」と呼びかけました。そして、自分たちが憩う木阴や并木が、「外国のあの大学、この大学の好意ある赐物である」と知ることが、「千言万言の説法にまさる平和精神の鼓吹となる」と语りました。

 この呼びかけに、世界各国の大学が応えました。ドイツから13大学、アメリカから8大学をはじめ、インド、フランス、デンマーク、スイス、イタリア、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなど、多くの国々から苗木や种子、寄付金が寄せられました(树木103种261本、种子934袋等)。各国の大统领から寄せられたものもあり、その一つ一つに、「広岛とともに歩みたい」という愿いが込められていました。

 特に、当时の东千田キャンパス正门(现在の东千田公园正门)前に植えられたフェニックスは、不死鸟の名を持つ木として焼け野原から再生する広岛大学の象徴とされ、広岛大学の学章にも用いられています。ウェスレイアン大学(アメリカ)からの寄付によって植えられたその木々は、今も东千田の地に立ち続けています。


 本法科大学院もまた、この东千田キャンパスの歴史の上に存在しています。安心して学び、语り合い、日々の生活を穏やかに営めることこそが、人生や社会の基盘となる大切な平和です。緑豊かな东千田キャンパスに流れる落ち着いた时间や、学生たちの何気ない日常も、被爆から復兴した広岛の歴史の上に成り立っています。そのような日々を大切にすることが、大きな平和への愿いに繋がります。「暴力と力による支配を拒絶し、理性と対话による秩序を筑く」という広岛の精神は、まさに私达が追究する「法の支配」の根底にある理念そのものです。広岛で法律を学ぶということは、単に法制度や理论を修得することではなく、人间の尊厳や平和、国家と社会の在り方について考え続けることでもあります。

 被爆地?広岛にある大学として、そして东千田の地で教育を行う法科大学院として、私达は、歴史の记忆に真挚に向き合いながら、人々の笑颜や幸せ、そして平和な世界の実现を自らの课题として受け止め、そのために诚実に行动し続けることのできる人材の育成に引き続き取り组んでまいります。


 

現在の東千田地区

 

 

*详しくは以下をご覧下さい。


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