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歴史学の醍醐味を、余すことなく愉しむ

藤原翔太准教授

准教授
人文学プログラム 西洋史学分野

视点を复数化する

 私の専门は歴史学で、とくにフランス近代史を研究しています。歴史学と闻くと、过去の大きな事件や出来事に注目し、史料に基づいて、歴史的な事実を确定していく学问だと思われるかもしれません。确かに、根拠に基づき事実を确定する作业は、科学としての歴史学において不可欠な営みです。しかし、それと同时に重要なのは、歴史的な事象にどのような视点からアプローチするのかという点です。

 言うまでもなく、歴史的な事象は无数に存在しています。そのため、明确な问题意识を持たずに研究に取り组もうとしても、膨大な歴史的事実を前に呆然と立ちすくむばかりです。たとえば、フランス革命に関心を持ったとしても、具体的な问题意识がなければ、フランス革命の何を明らかにすべきかすら定まりません。仮にフランス革命期に残された史料が少なければ、とりあえず読んでみようと考えるかもしれませんが、実际には、フランス革命期の史料は膨大であり、一人の研究者がすべてに目を通すことは不可能です。そもそも、问题意识がないまま史料を読んでも、史料は何も语ってはくれません。したがって、歴史学においては何よりもまず、歴史的な事象に向ける自分なりの视点を定める必要があります。フランス革命期の政治の実态を明らかにしようとする场合、议会や政治家に注目することもできますし、政治に参加した民众や、逆に政治によって抑圧され、排除された人々(女性や贫民など)に焦点を当てることも可能です。ゆえに、研究主体の问题意识が、常に问われ続けることになるのです。

 问题意识が明确になり、视点が定まったら、次にそれに応えてくれる史料を见つけ出さなければなりません。议会政治を研究対象とする场合、议会の议事録が有効な史料となります。议会で可决された法律が地方でどのように适用されたのかを调べるには、地方の行政文书を精査する必要があります。さらに、民众の反応を知りたければ、警察や裁判関係の史料が役立つかもしれません。その时、史料は何かを语りかけてくれるはずです。

 歴史学の醍醐味とは、一つの歴史的な事象を复数の视点から捉え、様々な角度から分析することで、多层的な歴史像を描き出すことにあると、私は考えています。

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ナポレオン时代を问い直す

 私はこれまで、フランスにおける近世国家から近代国家への移行がどのように进行したのかを明らかにすることを目的に、主にナポレオン时代に注目して研究をおこなってきました。実は、歴史学界において、ナポレオン时代の研究が本格的に始まったのは、ここ20?30年ほどのことにすぎません。その背景には、フランス革命史家たちが长らくナポレオンを「反革命」の人物とみなし、その时代の歴史的意义を积极的に认めようとはしてこなかったことが挙げられます。こうした见方に対して、私はナポレオン时代の统治体制の実态を分析することで、フランス革命とナポレオン时代が必ずしも対立するものではなく、むしろ一面においては、革命の成果を确立する上で重要な段阶であったことを明らかにしてきました。

 その一环として、近年、私は歴史的にも有名な「ブリュメール18日」という事件の歴史的意义を问い直すことに挑戦してきました。一般に「ブリュメール18日」とは、カリスマ将军ナポレオンが军队を率いて政権を転覆させ、権力の座に就いた事件として理解されています。しかし、従来、ナポレオンの视点から语られてきたこの事件を、私はむしろ革命家たちの视点に立つことによって再検讨し、フランス革命の成果を守るために、改宪派の革命家たちがナポレオンを権力の座に引き上げた出来事として捉え直しました。フランス革命期に発展した民主主义を思い通りに制御できなかった革命家たちが、まさにその民主主义の中から権威主义体制を生み出していく过程を明らかにすることが、その目的でした。

 要するに、「ブリュメール18日」というカリスマ的リーダーの権力掌握を、単に个人の能力に帰するのではなく、リーダーを舞台に押し上げようとした「ふつうの人々」の利害や関心に焦点を当てて论じようとしたのです。视点を変えることで、「ブリュメール18日」という一つの歴史的な事象の多面性を浮かび上がらせることを目指したと言えるでしょう。

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地方の史料からフランス近代を眺める

 现在、私はフランス革命からナポレオン时代にかけての地方行政に関する研究に取り组んでいます。とくにフランス革命によって再编された地方行政区画(県?郡?市町村)に设置された地方议会に注目し、革命期に活発な政治活动を展开した地方议会が、ナポレオン时代にどのようにして非政治化されていったのかを、地方利益の代表という観点から明らかにしようとしています。

 私の见立てでは、フランス革命の初期に创设された地方议会は、地方利益の代表机関として事実上机能していました。しかし、革命が激化し、急进派が政権を握る、いわゆるジャコバン独裁期に入ると、都市部出身の急进派が地方议会の议席を占めるようになり、地域全体の代表性は损なわれることになりました。その结果、地方议会は政治グループの激しい対立の场と化し、地方利益に関する议论は軽视されるようになったのです。したがって、フランス革命を収束させるべく登场したナポレオン体制には、地方议会を非政治化し、纯粋に地方利益を代表する机関へと再编することが求められていたと考えることができます。この仮説を実証するために、私は南仏のガール県を研究対象として选び、同県の文书馆に所蔵されているフランス革命?ナポレオン时代の地方行政文书の网罗的な収集と分析を进めています。地方の视点からフランス近代を问い直す作业に取り组んでいると言ってよいでしょう。

 最后に、歴史学の研究方法について一言述べておきます。歴史家が史料を分析する际、多くの场合、まず仮説を立て、それを証明するための根拠となるものを史料の中に探し求めます。しかし、时には仮説を覆すような史料に出会うこともあります。その场合、改めて仮説を练り直し、再検讨する必要がありますが、そうした试行错误を重ねながら丹念に史料を読み进めていくうちに、ある史料と别の史料が结びつき、そこに一つの论理や时代性が浮かび上がってくる瞬间が访れます。この瞬间は一朝一夕に访れるものではありません。明确な问题意识をもって、日々、先行研究や史料と向かい続けた先にようやく现れてくるものです。私はこの最高の喜びを感じる瞬间を、歴史学を志す多くの学生たちにぜひ経験してほしいと、强く愿っています。

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