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解题:新井嘉之作関係文书目録

执笔者

阿武旭

Ⅰ. 収集の経緯および資料の原秩序、荒整理の過程

 平成16(2004)年2月4日、文书馆設立準備室の小宮山道夫、菅真城が新井嘉之作(あらいかのさ)氏の長男俊一郎氏の自宅を訪問した。その際、6つの箱と1つの袋に分類して保管していた文書類をそのまま譲り受け、文书馆設立準備室に持ち帰った。それぞれの箱と袋には、箱①「新井嘉之作研究資料」、箱②「嘉之作資料」、箱③「嘉之作研究資料」、箱④「嘉之作ノート多数」、袋④-1「新井資料」、箱⑤「嘉之作研究論文冊子原稿他」、箱⑥「嘉之作著作論文原稿」というように番号と名称がついていた。これらの資料を文书馆設立準備室に持ち帰った後、この分類(荒整理)を原秩序とみなして箱?袋ごとに文書の形態と数量を記録した。

Ⅱ. 整理の経緯

1. 本整理の実施

 荒整理の作业を踏まえた上で、箱?袋ごとに文书类の内容を大まかに确认して新井嘉之作関係文书の整理方针を决定し、目録作成作业に着手した。
 すなわち、箱?袋ごとに中の文书类を分类分けし、再编成して箱?袋ごとの通し番号(整理番号)をつけて记録することとした。分类は、文书の形态に応じて书类、手帐?ノート、手书き原稿、抜刷、书翰、书籍、雑誌、新闻、物品の9项目とした。このうち、书类、手帐?ノートについては、その生成过程が新井嘉之作氏の仕事と密接に関係するため、経歴に沿って小分类を设定することとした。
 この结果、次记のような形で分类した。

表 新井嘉之作関係文书分类一覧&苍产蝉辫;

大分类 小分类 点数
1. 書類 (1)経歴関係、(2)研究関係、(3)教育関係、(4)広岛大学関係、

(5)広岛大学东云分校関係、(6)安田学园関係、(7)その他
160点
2.&苍产蝉辫;手帐?ノート (1)手帐、(2)受讲ノート、(3)随想?闘病记、(4)讲义ノート、

(5)研究ノート、(6)外国文献訳出、(7)会议记録、(8)その他
182点
3. 手書き原稿   23点
4. 抜刷   14点
5. 書翰   12点
6. 書籍   41点
7. 雑誌   26点
8. 新聞   2点
9. 物品   1点

 

2. 目録作成にあたって

 目録の作成にあたっては、资料に対する番号のつけ方に注意を払った。すなわち新井嘉之作氏が1点の封筒に多数の资料を封入している场合があり、异なる内容の资料が混在している场合もあった。この场合は新井氏の意図を汲み、整理封筒を分割せずに1点として目録の备考栏に资料内容の简単な内訳を记载することとした。例外として、番号063~066の文书は教育関係の书类の中に东京大学学长や参议院议员を务めた林健太郎氏の书简、広岛大学初代学长森戸辰男氏の书简が混入していたため、これを明记すべく、枝番号をつけて目録に记载した。
 文书馆で収集した文書の分類分け?目録取りが全て終了した後、文書群の全体像を分かりやすくするため、箱による区別をやめて分類ごとに文書を再編成し、全体の通し番号(目録番号)をつけることとした。

新井嘉之作 履歴

明治37(1904)年生  平成4(1992)年没(享年88歳)

学 歴 

明治43年4月1日 日野沢小学校寻常科入学
大正5年4月1日 日野沢小学校高等科入学
大正7年3月31日 日野沢小学校高等科卒业
大正13年4月1日 名教中学校4年编入学
大正14年4月1日 旧制松本高等学校文科甲类入学
昭和3年4月1日 东京帝国大学文学部西洋史学科入学
昭和6年3月31日 东京帝国大学文学部西洋史学科卒业

 

职 歴&苍产蝉辫;

昭和6年4月3日 山形県立谷地高等女学校教諭
昭和7年11月17日 大分中学校へ転任
昭和15年11月29日 広岛师范学校教諭
昭和18年4月1日 広岛师范学校教授
昭和24年4月1日 広岛大学教育学部助教授就任
昭和31年3月1日 広岛大学教授昇任
昭和33年5月1日 広岛大学教务课长併任
昭和38年6月1日 広岛大学教育学部东云分校主事(学部长)就任
昭和40年10月1日 広岛大学评议员伴任
昭和42年3月31日 広岛大学定年退官
昭和42年4月1日 安田女子大学教授に就任
昭和52年3月31日 安田女子大学定年退职

 


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