広島大学では、「特に優れた研究を行う教授職(DP:Distinguished Professor)及び若手教員(DR:Distinguished Researcher)」の認定制度を2013年2月1日に創設しました。DPは重点的課題に取り組むべき研究を行う特に優れた教授職、DRは将来DPとして活躍しうる若手人材として、研究活動を行っています。
荒見 泰史 教授 インタビュー

「敦煌文献」から読み解く中国大众文学の起源
常识に隠された真実の探究で描く新たな东アジア交流
「生の文献」の宝库、敦煌文献に魅せられる
私は中国文学、中国哲学を専门に研究しています。江戸时代から祖父の时代まで汉文を教えていた家で育ったので、子どもの顷から「汉文」という言叶を闻く机会が多くありました。理系をめざしていたはずが、いつの间にか汉文、つまり中国文学?中国哲学を进路に选ぶことになったのは、やはりどこかで亲しみを感じていたからでしょう。
大学で敦煌学の権威の一人、金冈照光先生に出会って兴味を持ち、敦煌文献の世界にのめり込みました。敦煌文献とは、1900年に敦煌の仏教遗跡から偶然発见された、唐代以前に书かれたと见られる写本や文书など巻物にして4万ほどの膨大な史料です。见つかった写本から失われたと思われていた文献が復刻されるなど、その学术的価値は计り知れません。中国は、これらの史料を北京に运んで管理するために北京図书馆(后の中国国家図书馆)を建设したほどです。
敦煌文献が注目されるポイントの一つは、いわゆる「生の文献」であるということです。今に残る古い时代の文献は、地位や権威のある人が书いたものが多く、しかも王朝ごとに体裁が整えられて保管されてきました。一方で敦煌文献には、市井の人たちに使われていたそのままの形で残ったものが数多くあるのです。中国の古典籍、特に敦煌文献に魅せられた私は、中国に留学し、大学院博士课程からポストドクター时代の10数年间、中国で研究生活を送りました。

中国?復旦大学大学院博士课程への进学をきっかけに研究者としての入门期を中国で过ごし、研究ネットワークを构筑した
従来の中国小説研究に新风を吹き込んだ「変文」研究
特に関心を持ったのは、「変文」です。唐代末期以降、一般の人々に仏教を流布するために、「俗讲」と言って仏教絵画の意味をわかりやすく物语る説法が流行しました。日本にも伝わり「絵解き」として盛んになったもので、纸芝居のようなものと言ってもいいでしょう。
変文は、この俗讲に使われた台本や种本と考えられています。后に通俗文学として発展する源流の一つにも位置付けられ、今では中国文学史上の重要なジャンルとされています。ただ、歴史の中で通俗小説作品が记録されることは稀なため変文のテキストは后世に残らず、一时は忘れ去られていました。それが敦煌文献の中から変文の写本が発见されて一跃脚光を浴び、変文研究が始まったのです。しかし、変文は基本的なところがまだ解明されておらず、それが何かというところから様々な议论がある、まだまだ谜の多い存在です。
私は、敦煌の変文を丁寧に読み解くことで、どんな物语が书かれ、当时の语り手がそれをどのように変化させて使っていたのかを分析しました。様々な物语が书かれているのですが、途中までしか书いてなかったり、他の物语を継ぎ足して别の物语にしてしまったりしたものもあります。派生したり集约されたりを繰り返しながら変化し続けた、语りの文学としての変文の姿を明らかにすることができました。今から20年ほど前の当时、中国文学、特に小説研究の世界では、文字の文学こそ古いものであり必ず确かな原典のようなものが存在する、という理解が一般的でした。そこに、语り手や変化といった概念を持ち込んだ私の研究は型破りでしたが、现在では引用されることも多くなっています。考えてみれば、印刷物のなかった敦煌文献の时代、庶民の间に语りで物语が受け継がれていくのはむしろ当然のことです。研究の世界の常识を疑うことが、ときに大切であることを改めて実感しました。
东アジアへ视野を広げ真の理解につながる仕事をしたい
敦煌文献は、タイムカプセルのように一気に1000年前の世界に连れていってくれる贵重な存在です。代々伝わって形を変えてきた史料を通じて构筑された间违った常识が覆されることも少なくありません。たとえば、仏教がインドから中国に伝わって一気に浸透したわけではなく、中国古来の信仰が仏教にかぶさりながら、仏教と融合していくような流れも明确に见えてきました。
また、中国文化が日本にどう伝わったかという研究も进めています。たとえば、风神雷神はとても兴味深い素材でした。もともとは中国の自然神として古墓などにも描かれ、祀られてきた神さまですが、インドから観音信仰が伝わって来て、中国で千手観音信仰として発展する中で、そこに取り込まれていきました。千手観音に付き従う神々として别に二十八部众がいますが、それらが描写される中で、壁画や仏龕(仏像を安置するための小室)の上部の左右に太阳と月のように配置される装饰となっていきました。そうしたイメージが定着した顷に日本に伝わり、定式化されたと考えられます。ところが、その后本家の中国では、力士のような风神雷神はやがて廃れて、雷神などは鸟の姿へと変化していきました。中国人が日本の俵屋宗达の风神雷神像を见ても、「え、これが风神雷神?」と惊くことがよくあるのは兴味深いことです。
今后は、このような中国から东アジアへと视野を広げた研究に力を入れていくつもりです。たとえば汉字も兴味深い研究対象の一つです。中国、韩国、日本は、汉字を知っているだけで意思の疎通が図りやすいですが、反面落とし穴があります。同じ汉字であっても、掘り下げていくと微妙に意味が违う言叶がたくさんあるからです。学术用语でも、中国の学者と共有できていない言叶はたくさんあります。たとえば我々の宗教文化の研究でも、「神」や「宗教」という基础的な言叶ですら、きちんと説明しないと异なった解釈につながることがあります。
言叶の背景にある意识や考え方の违い、文字に対する理解の仕方の违いまで含め、もう一度、中国古典作品をきちんと訳し直してみたい、と思います。敦煌文献が教えてくれたように、私たちは、长い歴史の中で数々の思い込みや误解をしています。中国の人はこうは読んでいないはず、と感じる古典作品もあります。幸い、长年の中国生活で中国の友人もたくさんできました。彼らの力も借りながら、近くの国同士、互いに理解し合うために少しでも役に立てる仕事ができればと思っています。

広岛大学の研究グループの一员として中国国家図书馆善本特蔵部を访问し、研究者たちと活発に议论をする荒见先生(左から2番目)

中国留学时代に収集した膨大な书物に囲まれる荒见先生